くじらDのブログ

主に3DCGやUnity関連の開発メモ

初!今週のお題「おじいちゃん・おばあちゃん」

今週のお題「おじいちゃん・おばあちゃん」

 

今週のお題というものを今日は初めて書いてみる。

 

今年で31歳になる僕ですが、両祖父母でご健在なのは、母方の祖母のみ。

父方の祖父は僕が高校生の頃になくなり、父方の祖母と母方の祖父も僕が20代前半のうちに亡くなった。

 

お三方をなくしているのだが、葬式では僕は一瞬も泣かなかった。

悲しくなかったわけではないし、無関心だったつもりもないけど、泣けなかった。

 

父方の実家は子供が歩いても行けるくらいの距離だった。今の僕なら会社に行くよりも近い。最寄りのコンビニくらいの距離。母方の実家は少し遠く車で20分くらいの距離だった。

小学4年生のころに大きめの自転車を買ってもらった喜びから自分の力でいってみたくなったけど、途中砂利道で盛大に転んで大泣きしながら母方の実家にたどり着いた。初めての大冒険の苦い思い出である。

 

小学校の中学年くらいまではおばあちゃんのうちに行くのがとにかく楽しみでしかったなかった。遊びに行けばお菓子は出てくるし、自分の家の周りにはない自然や畑や田んぼがあって一緒に野菜をとったり土遊びや水遊びを自由にさせてくれるのが楽しかった。

祖父母に怒られることはまずないから両親がギリギリ許してくれる程度までは多少悪いこと、危ないことをしても平気だった。

 

書きながら思い出すとなんだかとても懐かしい記憶に思う。

映画のワンシーンで例えるとクレヨンしんちゃんの「大人帝国の逆襲」でひろしが家族の記憶を取り戻すときの回想シーンに近い。

 

 

一つだけ、ものすごく愚かな行いをした記憶が残っている。

母方の祖父は高所恐怖症だった。小学4年生くらいの頃、それを知らず無理やり遊園地の観覧車についてきてもらったことがあった。観覧車が周って昇降口から45度を超えてこれから頂上を目指すというあたりから祖父が足が震えだし首に巻いていたタオルで頭を隠してしゃがみこんだ。

すぐに高いところが怖いんだと気づいた僕はいじめっ子のように祖父が頭を隠していたタオルを取り上げようと試みていた。結局、祖父がタオルを僕に取られることはなかったのだが、観覧車を降りた後、祖父だけがすぐに家に戻ってしまった。

当時はその後姿を見かけなかった祖父を気に留めていなかったが、恐怖症の環境下を脱したあとの疲労を30歳になった僕はよく理解できている。

 

今でこそ、身内に限らず老人は大切に扱っている(と思う)が祖父には本当にもしわけないことをしたし、今でも許されていないと思っている。

祖父は70代前半で亡くなってしまった。寿命を縮めてしまったのは間違いなく僕だろう。