くじらDのブログ

主に3DCGやUnity関連の開発メモ

新潟シティマラソン出ました!

新潟シティマラソンに出場しました。

30歳にして、人生初のフルマラソンです。

 

結果から言うと完走できませんでした。

40km地点の最終関門を時間内に突破できず、リタイア。

完全に42.195kmを甘く見ていました。

週3,4日、約6,7km、時間があるときは10km程度というレベルの練習じゃあ全然体が出来上がらないですね。

20kmくらいはなんなく走れた方がよかったんだろうか。

 

でも悔しい気持ちもありつつ、どこか満足もありつつなんともいけないような気持ちです。40km走れて嬉しかったし、具体的な言葉はまだ出てこないけど、得られたもの、感じたものは大いにあった。良い経験をしたなぁという感じ。体力をあんじつつも出てみようかなと思っていたら完走できなくもチャレンジしてみるといいと思います。

 

 

 

初めてなので完走することが目標!と漠然と考えていた朝6時。

ビッグスワンまでの道中、鳥屋野潟に霧がかかっていて幻想的な風景でした。

(以降は口調が変わります)

f:id:ninotk:20181009224102j:plain

f:id:ninotk:20181009224539j:plain

 

 

S、A〜Iまでのグループ分け。

申し込み時の見込み完走時間からグループ分けを行うらしく、初出場の僕は普段のジョギングの平均速度から6時間と入力してエントリー。

「H」に区分けされ、ビッグスワンを出た時間は8時50分。

 

前半10kmは人混みの中を周囲のペースに合わせて走らないといけないような状況だった。

ビッグスワンから鳥屋野潟公園の十字路を曲がり、鳥屋野潟沿いを走り抜け、まっすぐ信濃川に向かって走る。そこまでが約5kmちょっと。信濃川にぶつかったら川沿いをバンダイ方面に向かって走り、万代橋手前を右折、万代シテイを駆け抜けて萬代橋を渡る、そのままNEXT21まで走って、再度万代橋まで折り返す。そこで10km。このあたりからは道が結構ばらつき始める。ここまで高低差もないし、周りのペースに合わせて走ればよいので、あまり疲れない。1時間ほどで走ってこれる。

 

10km以降は新潟島をみなとトンネルに向かって走り、みなとトンネルを一度くぐり抜ける。10km走った後のこのトンネルの高低差とトンネル内のわずかな空気の薄さが体力を奪う。練習不足の僕はここから少し歩き始める。

 

トンネルを抜けて500mほど走ると折り返し。往路の人たちの数が減り始めている。

 

復路のトンネルの急勾配がさらに体力を奪うが、そこをなんとか抜けると海沿いを走り、ようやく20km。

20kmからは急に足が重くなる。想像してる以上に体も前に出ないし、足もあがらなくなる。海沿いの潮風やら変わる景色、まだ周囲も良いペースで走っているので、かろうじて走れる。新潟島の端っこ、みなとトンネルから反対の関屋分水までの海沿いコースは約5km。

 

ここを抜けると青山海岸方面の杉外壁コース。ここが往復で約5km。ここは緩やかに傾斜があり、両サイドは杉に囲まれていて景色が変わらない。

ここが一番辛いかもしれない。痛みに負けてこのコースの半分を歩くことになってしまった。直線コースだが、前を見てもどこが折り返しなのかがわからない。見えるのはランナーの人混み。この距離に来ると足に痛みも感じ始める。

時々歩道に逸れて屈伸したり足を伸ばしたりしながらかろうじて青山海岸コースの往復を抜ける。復路を走っていると往路を行く人はかなり少ない。みんな歩いている。僕が折り返すことには、この第6関門の閉鎖時間30分前を切っていた。

 

 

関屋分水まで戻ってくると30km。ここまでくれば残り12.195km。フルマラソンも3分の1を切っている。がしかし、ここから気力も削がれ始める。20kmから感じ始めていた足や体の重さが倍になる。足にも激痛が走り、走っても痛い、歩いても痛い、立ち止まっても痛い。

関屋分水から新潟ふるさと村方面に向かって川沿いを走る。このコースはゴールまで3,4kmである出来島の最終関門のあたりを見ながら走ることになる。が、そこまでの距離は10km。朝走ったビッグスワンからNEXT21と同じ距離のはずなのに、すごく遠い。

 

周囲はもうほとんどが歩いている。足をやって、救護班のお世話になっている人の姿もちらほら、このコースを走っているうちに救急車や救護班が走っていく姿を6,7回見かけた。やはり鬼門なんだろう。

 

このコースは33kmの第7関門がある。僕がここを抜けたときは、閉鎖5分前だった。

実際、抜けるのを諦めようともこの頃は思っていた。

 

思っていたが、抜けてしまった。

 

 

一人なら心は完全に折れているのだが、このくらいになると周囲のボランティアや見に来て応援してくれる住民ボランティアの方々の応援がすごく心にしみる。見ず知らずの人が、足の痛みで苦痛な顔をしてゆっくり走っている僕を応援してくれるのである。

 

頑張らざる得ない。

赤の他人の応援なのにすごく心に来る。帽子を深くかぶり嬉し涙なのか悔し涙なのか汗なのかわからない液体を隠しながら競歩のように走る。

 

僕が7関門を抜けたのが5分前だったため、この第7関門からゴール直前の第8関門までの間、僕の後ろを走っていたのはおそらく4,5人しかいなかった。

 

気力は削がれていたが、時折声をかけてくれる人たちの応援の掛け声だけが唯一頑張れるエネルギーなように感じた。なんとか気持ちを保って、平成大橋を渡りきる。残り5kmの看板も見えてくる。僕よりも遅いペースで走っている女性を追い越すとすすり泣く声が漏れていた。夕日の中を歩くよりも遅いペースで少しずつ走っている。

 

この時、もうゴールを諦めざると得なかった。

 

 

第6関門以降、多くの人が応援してくれたが、実はそうじゃない人も多い。比較的高齢のボランティアの数名は雑談を楽しんでいて脱落ランナーに見向きもしなかったり、呆れたような顔で見てくるボランティアもいた。地域住民や若いボランティアの方の方が気持ちのこもった応援をくれる人が多い。(そうじゃないとても優しい高齢ボランティアもたくさんいたよ)

 

最終関門についた頃はスタートから6時間を超えていた。リタイア組を待つバスの前で「また来年もよろしくお願いします。大変お疲れ様でした」と若いスタッフの方々からお声がけいただいた。

 

僕の後ろを走っていて4,5人のランナーも到着し、ゴール地点である陸上競技場へバスが走り出した。

こうして僕の人生初のフルマラソンは終わった。

 

 

ゴールの陸上競技場に移送されたときはもう解散ムードだった。

足を引きずりながら自分の荷持を持って、徒歩で帰ることに。

 

そこで気づいた。

ゴール地点から家まで約3km。僕がたどり着いて第8関門まで40km。合わせて43

km。フルマラソン完走したことになるんじゃね?